
此処には余り書きたくは無かったのだが、日常ばかりでは少し飽きるので
さわりだけ。
ここ2週間ほどの間に3回狐に出会った。昼間ではなく寝てる時だから
少し始末が悪い。
ふと、目が覚めると枕元に座っている、何か悪さをする訳でもなく
何か言いた気にこちらを覗くのだが、言いたい事が解らない。
昨夜で3回目、若い狐で決まって時間は4時少し前だ。
この時間は覚えがあって、福井の阿弥陀寺のご住職、(今は他界されたが
私の佛教の師でもあった方)が、
いつも夜明け前午前3時から2時間決まって座禅を組まれていた。
そして狐が住職の前に現れるのがこれも決まって4時前で夜明けまでの短い時間だと聞いた。
このご住職から聞いた話を先にした方が、解りやすいかもしれない。
紅葉の盛り、いつも通り座禅を組まれ、無の境地に至った時に、ふと、気配を感じ
心眼を開かれると、老齢な狐が斜め前に座り、ふぅ、とため息混じりに
住職を見ていると云う。
何処かに行って欲しいと、訴えているらしい、少し無視をして再び
無我の境地に入れば、すぅ~と気配を消して消えたと云う。
しばらく現れなかった狐が再び現れたのが、真冬の雪の朝、
いつもの様に座禅に身を置いている最中、気配も無いまま、
ふぅ、とため息、少し驚いた住職が 『何処に行って欲しいのか?』と、
尋ねれば、京都だと言う。
『京都ならば、伏見稲荷に頼めないのか』…それには答えず手に持った
小枝で2筋の道を描き、小枝の先を少し折り道の端に置いた。
再び、ふぅ、と困った顔をする狐。
住職 『その場所に行って欲しいのか?』…
狐 『時間が余り無い』
住職 『行けば解るのかな』
それには答えず手に持った小枝をそこに置き、『珠を取り戻して欲しい、
相手にもそれは判っている、時間が無い』…
言い残して気配を消した。
裏山の狐でもなし、敦賀に抜ける道中に現れる少し悪さをする狐でも無い。
両方の狐を知っている住職は、きっとどこぞのお稲荷さんからの使いだろうと
ほってもおけんな、と雪の積もった庭を観音堂へと向かった。
九条通りを北に東寺通りまで行かない所l、少し脇道に入った所に
狐の描いた場所が有った。(詳しくは書けないが)
玄関を開けると、今日お見えになると聞いてお待ち致して居りましたと、
いきなりの挨拶をされたそうだ。
住職に手渡されたのは大事そうに箱に入った狐の珠、相手は、
青白い顔で、私には荷が重すぎました、これで悩まされずに済みますと、
安堵の顔をされたそうです。
私が尋ねた折にその話を聞かせてくれたご住職
狐はその珠の行方を案じ、私に珠の保管を頼みたかったのだろうと、
阿弥陀寺の本堂の脇に大事に祀られたお稲荷様の珠を見せてくれた。
(これは今でも阿弥陀寺に足を運べば見せて貰えると思います)
現ご住職は先代の息子さんです。
PM5:00
春先に湖に沈めてしまった防水カメラ、やっと踏ん切りつけて購入。
今日、お家の方に届いたみたい (^-^)/

もう、10年も前に最後に頂いたお守りです、
なかなか頂けないのを夫婦で2つ。
知恵ちゃんは さいふの中に10年間、私は机の中に10年間。